先日手元に届いた文鎮。
京都龍安寺の有名なつくばいをかたどった手のひらサイズの文鎮です☺
(すべての字の口の部分が中央の穴に重なります。)
(宗慶さーん、大切にします。)
『吾唯足知』
われ、ただ、足るを知る。
ここに書かれている言葉、心の奥に向かって光ってくる言葉だなあと思います。
『吾唯足知』 は禅語であり、とても簡単にまとめると
『 欲しいものばかりをいつも追い求めるのではなく、与えられた環境をまずは受け入れて、不平や不満よりも今身近にあるものに対し感謝の気持ちを持とう!』
という意味を持ちます。
この事はヨガ哲学の八支則の内「ニヤマ(勧戒)」(進んで守るべき道徳)の中の『サントーシャ(知足)』にあたります。
サンスクリット語だと不思議な響きを持ちますが、
漢字で「知足」と書くと馴染みやすいですね。
これは私自身ヨガの哲学を学び始めて最初に好きになった言葉です。
シンプルだけど実はとても難しい。心のなかで実践し続けたいものです。
ヨガと言えば、ポーズやエクササイズと言ったイメージが大きいですよね。
確かにそうなのですが、本来ヨガにおいて目指すべきところは、
ポーズの美しさでなのではありません。
ポーズに至るよりも先に心の在り方として、先にお話した哲学が存在します。
これをガイドに、そして、肉体や心や日々の生活などすべてのバランスを通して
自分を整えてゆく訳です。
ちなみにヨガ哲学「八支則」は
(1)yama(ヤマ) 禁戒。他人や物に対して守るべき5つのこと。道徳的基本。
(2)niyama(ニヤマ)勧戒。自分に対して積極的に行う5つのこと。
(3)asana(アーサナ)座法。
←レッスンで行うポーズはこの段階。
(4)pranayama(プラーナヤーマ)調気。
←レッスンで行う呼吸のコントロールはこの段階。
(5)pratyahara(プラティヤハーラ)制感。
(6)dharana(ダラーナ)集中。
(7)dhyana(ディヤーナ)静慮。瞑想、集中が深まった状態。
(8)Samadhi(サマディ)三昧
と、このような段階があります。
off the mat (マットの外でもヨガをしよう)という表現がありますが、
日常生活において行うヨガとは、この(1)(2)のこと。
快適で安定した心を得て行くことが、マットの上だけでなく、
日常生活の中からもヨガの目指すところと言えます。
もちろん生きていれば荒波はたくさんあります。
むしろ平穏な事のほうが少ないのかもしれません。
だからこそ、どんな状況にも対応できる心の柔軟性を養うことが大切なのですね〜。
次の機会には是非、八支則についても細かく紐解いていきたいと思います。
ヨガについて誰かと話したり、文章を書いている時、
なんだかまるで旅のようだなといつも思います。
ヨガにおいてのポーズは、自分に対する客観的な観察力や忍耐力を身に付ける役割を持ち、その旅をサポートするツールの一つと言えるのでしょうね。
私も日々お教室で、ポーズだけでなく身体を通して沢山の気付きを皆さんご自身で得て頂けるような誘導が出来るよう、これからも学び続けたいと思います♪
ああ。こう書きはじめると、お話ししたいことが本当に沢山です。
でも続きはまた今度☺